アトリエMMスタッフ研修IN京都(養源院)

アトリエMMスタッフ研修IN京都(養源院)

1月5日、スタッフ研修で京都へ行って参りました。

まず最初に向かったのは養源院。東山区、三十三間堂の東側に位置しています。

豊臣秀吉の側室・淀殿が、父・浅井長政の追善供養のため、21回忌法要の時に創建した寺で、一度焼失した後、淀殿の妹で徳川秀忠の夫人であったお江の方(後の崇源院)の願いにより、元和7年(1621年)に伏見城の遺構を移築して再興されました。

 

こちらにはかの有名な絵師、俵屋宗達の唐獅子・象・麒麟の杉戸絵があります。輪郭が太く勢いがあり、力強さを感じました。

 

そして本日京都へ来た目的の大きな一つ、日本で唯一の唐紙屋

「唐長」のトトアキヒコ氏の作品『星に願いを』

指で染める独自の「点描染め」という技法を用い、最初は5本の指でたたくように色を付け、その後は荒々しい表現を沈めるように指1本で色をのせて、染め上がった和紙に龍の頭を持つ亀「龍亀」や星を表す九曜紋などを押し、龍亀が空に昇って龍になる様子を表しているといいます。

少々色を重ねたくらいでは出せないであろう画面の深みは、とても神聖で吸い込まれるような作品でした。

 

 

血天井

関ヶ原の戦いの直前、徳川家康は留守居として鳥居元忠以下の将士に伏見城を守らせていましたが、家康が京を離れた隙を狙い石田三成の軍勢が伏見城を攻撃しました。元忠とその部下は三成軍を少しでも長く留まらせ、会津まで援軍に行かせないようにと奮戦しましたが遂に力尽き、落城の際に自刃。遺骸は関ヶ原の戦いが終わるまで約2ヶ月も放置され、血痕や鎧のあとが縁側の板に染み付き、いくら拭いても洗っても落ちませんでした。

そこでその板を外し、足で踏む床板にしては供養にならないからと、天井にして手厚く供養しているというものです。

実際に天井を見上げてみると、指まではっきりわかる足形なども残っていて、感慨深いものがありました。